「哲仁王后~俺がクイーン!?」編
韓ドラ人気の中で特に「韓国時代劇」は幅広い年代でファンが多く更にここ数年で更に人気上昇し、主演者もする若手人気俳優の起用や時代劇ドラマ出演がきっかけで一気に注目される新たなスターの誕生など色々な面で注目されています。
気になる韓ドラ時代劇で欠かさない王様について。今回キム・ジョンヒョン演じる哲宗は役どころとしては大王大妃と大臣らの操り人形のように言いなりになっている国王。しかし実は仮の姿で本当は有能で民の事を一番に考えていて着々と権力者たちを制圧するための準備をしている・・・。
では、では実際の哲宗、そしてシン・へソン演じる子のドラマの主人公哲仁王后はどんな歴史上の人物なのかそしてこのドラマで描かれている内容はどこまでがノンフィクションでどこまでがフィクションなのか見終わった後とても気になるところですね。
調べてみましょう。
李氏朝鮮第25代国王 哲宗 (チョルジョン、1827年-1863年)
李氏朝鮮(朝鮮王朝)の第25代国王である哲宗(チョルジョン、철종)
哲宗は1827年に生まれ ・1849年に19歳で即位・在位期間は1849年~1863年。
哲宗は、王朝の王位継承が危機に瀕していた時期に即位しました。彼の治世は、政治的に困難な時期にあたっており、特に大院君(大王大妃)が実権を握る時代の幕開けを告げるものでもあります。
哲宗は、初代国王である李成桂の子孫ですが、王位継承から遠い傍系の出身で王位に就く前は漁村で普通に生活していたようです。彼が王位に就くことになったのは第24代国王である憲宗が若くして男子後継者を残さずに死去したためです。この状況の中で王室内の勢力が激化し、哲宗が政治的に無力であり、当時の有力な貴族たちにとって都合がいいため王位に就く候補になったようです。
哲宗は健康面でも身体が弱く子供をもうけることが出来ず哲宗の後継者として王位を継ぐ直系の男子は存在しませんでした。そのため、哲宗が死去後(1864年に32歳)王位は哲宗の直系の子孫ではなく、別の王族に継承されました。次の国王は、第26代国王である高宗(コジョン、고종)です。
純元スノン王后(大王大妃)
ドラマでは哲宗の祖母で大王大妃であるが、自分が政権を握るために操りやすい哲宗を国王に仕立てた張本人で安松キム 一族の勢力を拡大するためにソヨンを王妃に仕立てたが、ソヨンが王側に付いたと知るとソヨンの暗殺を計画する設定でしたが・・・。
純元スンウォン王后は、李氏朝鮮後期において極めて重要な政治的影響力を持った人物です。彼女の影響力は、単に王妃や大王大妃としての立場にとどまらず、実際の政治運営にも及びました。彼女の時代における朝廷内の権力構造は、彼女を中心にして展開され、特に哲宗の即位に際しては、その影響力が顕著に現れました。
ドラマでは二大派閥を豊安チョー族・安松キム一族として設定されています。そして純元王后(大王大妃)はキム一族の設定です。
実際は安東金氏(アンドンキムシ)と豊壌趙氏(プンヤンジョシ、풍양 조씨)の二大派閥です。
ここからが重要で純元王后(大王大妃)は豊壌趙氏(プンヤンジョシ、풍양 조씨)の出身です。そして純元スノン王后(大王大妃)には弟も実在していました。朝鮮王朝の高官であり、彼の姉である純元王后が王妃であったことから、彼も朝廷内で非常に強力な影響力を持っていたことも事実です。
という事はキム・テウ演じるキム・ジャグンも実在の人物だったのでしょうか。
純元スノン王后(大王大妃)の弟キム・ジャグンについて
キム・テウ演じるキム・ジャグンが純元王后(大王大妃)を姉にもつ絶対的な権力者として哲宗の親と兄を殺し、自分に絶対に逆らえないよう恐怖心を植え付けた上で哲宗を玉座に据えた人物になっています。
ドラマの二大派閥は豊安チョー族・安松キム一族として設定されています。実際は
実際は純元王后(大王大妃)出身の豊壌趙氏(プンヤンジョシ、풍양 조씨)派閥ではなく安東金氏(アンドンキムシ)の派閥を舞台にしているのではと考えられます。
なぜなら主人公である主人公哲仁王后 ・キム・ソヨン(シン・ヘソン)は安東金氏一族の出身であり安東金氏一族が哲宗の治世を支配していました。
そうなると純元王后(大王大妃)の弟が哲宗の治世を支配することはできないはずです。
この辺の設定はフィクションになっていますが純元王后(大王大妃)の弟ではないのですがキム・ジャグンに似た歴史上に人物が実在していました。
朝鮮の有力な両班(ヤンバン)である安東金氏(アンドンキムシ、안동김씨)に生まれ, 王室と密接な関係を持っていた金左根(キム・ジョグン)です。
なぜなら金左根(キム・ジョグン)が安東金氏一族の代表的な政朝廷の実質的な支配者の一人となっている模様や朝廷内の権力を一族で独占し、国政を事実上コントロールしている様子や権力の集中と一族の利益を優先させた事など事実のようです。
しかし、その一方で彼らの影響力は、李氏朝鮮の末期において王室の安定を一定程度保つ役割も果たした役割もあり金左根(キム・ジョグン)は、朝鮮王朝の歴史において、強力な王室と両班の権力闘争の象徴的な人物の一人として知られているそうです。
キム・ビョンイン(ナ・イヌ)は実在していたか
ドラマでは朝廷の絶対的権力者キム・ジャグンの養子であり、王妃キム・ソヨンの従兄。自身のソヨンへの想いに蓋をして身を引くが、ソヨンが王妃になったあともその想いを断ち切ることが出来なかった一途に1人の女性を思い続けていましたが、キム・ビョンインは歴史上実在したのでしょうか。
歴史上では金左根(キム・ジョグン)ドラマではキム・ジャグンですが、金炳学(キム・ビョンハク、김병학)という養子がいたことは事実です。この人物がナ・イヌ演じるキム・ビョンインなのでしょうか?
重要なことはここからです。哲仁王后(チョルインワンフ、철인왕후):哲宗の王妃でこのドラマ主人公。本名は金氏(キム氏、김씨)。彼女は安東金氏一族の出身であり、金左根(キム・ジョグン、김좌근)の姪にあたります。哲仁王后は、安東金氏一族が李氏朝鮮の権力を掌握していた時期に、政治的な影響力を持つ存在となりました。
金炳学(チョルインワンフ)と哲仁王后の関係:金炳学は、金左根の養子として安東金氏一族の一員でした。そのため、哲仁王后とは一族としての関係があり、彼女が王妃となったことで、金炳学も朝廷内で大きな影響力を持つようになりました。安東金氏一族が哲宗の治世を支配する中で、金炳学もその権力基盤の一翼を担いでいたようです。
金炳学(キム・ビョンハク、김병학)と哲仁王后(チョルインワンフ、철인왕후)に恋愛関係があったという記録や証拠は、歴史的には存在しません。
という事でこの辺りはフィクションのようですね。
哲宗の父 全溪大院君(ジョンゲデウォングン、전계대원군)李㼅(イ・グァン、이광)
ドラマの中では哲宗の父やその家族は殺されてしまいますが、この辺は事実とは違うようです。
李㼅(イ・グァン)は李氏朝鮮王朝の第16代国王仁祖の曾孫で、当時の王位継承ラインからは遠く離れた存在でした。そのため、彼自身が王位に関与することはなく、政治的な影響力もほとんど持っていなかったようです。子供も何人かもうけ哲宗はその中の一人です。
哲宗が王位に就いた後も特に大きな政治的役割を果たすことはなく、哲宗の即位を支持した有力な貴族や官僚たちによって握られていました。全溪大院君は息子の即位後もあまり表舞台に立つこともなく、その政治的な役割も限定的なものだったようです。
哲仁王后
いよいよこのドラマの主人公哲仁王后 ・キム・ソヨン(シン・ヘソン)についてどこまでが本当なのか気になりますね。
まずは哲仁王后は実在の人物であることは間違いないのですが、このドラマがこれほどまでに人気になった最大の要因は大統領官邸でシェフを務め、自信満々で超女ったらしチャン・ボンファン(チェ・ジニョク)が何者か策略ので容疑者となり逃走している途中でベランダからプールに落ち気を失ってしまい気がつくとそこは朝鮮王朝時代。更に何故か身体だけが婚礼を明日に控えた王后キム・ソヨン(シン・へシン)の女性の姿になってしまった・・・。この設定がこのドラを最高に面白くしています。
が、ここは当然フィクションです。
哲仁王后は、1837年に安東金氏の名門に生まれました。彼女の父親は金文根(キム・ムングン、김문근)で、母親は安東権氏(アンドングォンシ、안동 권씨)の出身でした。強力な政治力を持つ安東金氏一族の中で育ち哲仁王后は、1851年に哲宗と結婚しました。
14歳で哲宗と結婚したことになります。
哲宗と哲仁王后の仲はどうだったの?
この結婚は、安東金氏一族が朝廷内での権力を維持し、強化するためで哲宗は即位前、庶民に近い生活を送っていたため、哲仁王后の一族である安東金氏が朝廷内での実質的な支配を確立しました。
ドラマの中では哲宗は自身の家族を殺したキム一族だからという理由で冷たくされていましたが、実際のところは政略結婚で二人の結婚は個人的な感情に基づいたものではなく、政治的な意味合いが強かったと考えられます。そのため人的な仲が良かったかどうか夫婦としての親密さや愛情についての詳細な記録は残っていません。
ですが、哲宗からすると安東金氏の強力な支援を背景に王妃としての役割を果たしていましたので哲宗自身が政治的に主導的な役割を果たすことが難しかったことでしょう。それだけに彼女の影響力はかなり強かったと推測できますね。
哲宗と安東金氏の関係は?
ドラマの中では哲宗は自身の家族を殺したキム一族への復讐を水面下着々と準備している様子が描かれていて最終話までその闘いが続きましたが、実際はどうだったのでしょうか。
即位するまで漁村で暮らしていた哲宗ですので実質的に支配されていました。安東金氏は朝廷の主要なポストを占め、哲宗の政策や行動に強い影響を与えていました。このため、哲宗は実権を握ることが難しく、安東金氏の意向に従わざるを得ない状況だと推測されます。
哲宗が個人的に安東金氏の影響力をどう感じていたかについては、具体的な記録は少ないですが、彼が王としての自立を望んでいた可能性はあります。しかし、彼の出自や政治的状況を考慮すると、哲宗が安東金氏に対して公然と対立するのは難しかったと考えられます。
という事は、たとえ対立があったとしても、それは表面化せず哲宗は安東金氏の意向に従って統治を続けるしかなかったというのが実情だと思われます。
哲宗 側室
ドラマ内ではソル・イナ演じるチョ・ファジンは、副承旨を父に持つ名門チョ家の娘で育ちの良さからくる品格を兼ね揃えており、まさに王妃の器。しかも哲宗と幼馴染で相思相愛だったのですがキム一族と対立するチョ一族の出身だったため王妃にはなれず側室になります。その後もキム一族の新たな勢力を作る目的で更に3人の側室に迎えました。
当時側室は当たり前でしたのでドラマ内の設定になにも違和感なく観ていたのですが実際にところは違っていました。
李氏朝鮮の第25代国王である哲宗(チョルジョン、철종)には、公式に記録されている側室はいません。哲宗には王妃が1人だけであり、側室を持たなかったことが歴史的に知られています。
これは珍しい事ではないでしょうか。しかし、そこにはやはり理由があったのです。
- 政治的影響: 当時の朝鮮王朝は安東金氏の勢力が強く、哲宗の婚姻や家庭生活も安東金氏の意向が強く反映されていた可能性があります。王妃の家系が強力であったため、側室を置かないことが決められたとも考えられます。
- 健康状態: 哲宗自身の健康状態が優れず、子供を残すことが困難だったとも言われています。彼は若くして即位し、短い治世の間に特に病弱であったため、側室を持つことが難しかった可能性もあります。
- 治世の短さ: 哲宗の治世は短く、その期間中に側室を迎える余裕や必要性がなかったのかもしれません。
このように、哲宗には公式に記録された側室がいないため、彼の家庭生活や王宮内での立場は、他の多くの朝鮮王朝の国王と異なるものでした。
まとめ
いかがだったでしょか。元王后(大王大妃)・哲宗・哲仁王后は完全に実在しノンフィクションです。しかし今回調べた他の登場人物は残念ながらフィクションのようです。しかし、調べた内容からすると歴史上の人物に似せた演出を混ぜ合わせながらこのドラマを盛り上げる内容に作り上げていてまさに自分自身が王朝時代にタイムスリップしたような錯覚を起こしてしまいました。韓ドラ時代劇はやはり奥が深く魅了されるファンが多いのがわかりますね。
キム・ジョンヒョンについて
このドラマで「キム・ジョンヒョン」演じる哲宗とシン・へソン演じるキム・ソヨン。この2人の絶妙なやり取りとその2人を取り囲む出演者の役どころがこのドラマも更に盛り上げています。
そんな韓国時代劇ドラマで人気となった「哲仁王后~俺がクイーン!?」(2021年~2021年)に哲宗役で主演を演じた「キム・ジョンヒョン」(1990年4月5日 34歳)。2015年25歳で俳優デビューをしていますが、2018年8月28歳の時に睡眠・摂食障害により当時出演中だったドラマを途中降板し治療に専念し1年5か月の休業期間の後に復帰しています。
復帰第一作目があの世界的大ブームとなった「愛の不時着」
韓国で詐欺を働き北朝鮮に逃亡する若手実業界。どこか憎めないキャラクター ク・スンジュン役を完璧にこなし「ネットフリックス」を通じて世界的ヒットとなったことにより海外でもその知名度を高め見事な俳優復帰を果たしました。
そして今回更にその人気を不動にした韓国時代劇ドラマ「哲仁王后~俺がクイーン!?」の哲宗(チョルジョン)役。ここ数年の韓ドラ時代劇の中でここまで面白い時代劇ドラマはありませんでした。
韓国の視聴率は、初回放送8%(最低視聴率)から最高視聴率17.37%という高視聴率を記録しました。キム・ジョンヒョンにとって完全復活の作品となりましたね。今後の活躍を期待したいですね。
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