カンテク ~運命の愛~
TV朝鮮では2019年12月15日~2020年2月9日まで放送。最高視聴率は5・924%
日本でもAmazonプライムビデオで全話無料中。
あらすじ
19世紀の李氏朝鮮時代。国王イ・ギョン(キム・ミンギュ)の王妃を選ぶために揀択・カンテク(王妃、世子嬪を選ぶ行事)が行われる。ギョンは一目惚れしたカン・ウンギ(チン・セヨン)に求婚するが王宮へ連れて行く途中で彼女は何者かに銃殺されてっしまう。
ギョンも銃撃され死んだはずが突然息を吹き返し奇跡的に一命を取り留める。
生き別れたウンギの双子の妹カン・ウンボ(チン・セヨン)は、姉の死の真相を突き止めるため、2度目の揀択・カンテクへの参加を決意する。
相関図
ドラマは実話か否か
韓ドラ時代劇の楽しみ方の一つ。内容が実話をもとに描かれているのかどうなのかと言うところです。
このドラマの国王イ・ギョン(キム・ミンギュ)についてですが私が思うにこのドラマの国王イ・ギョンは架空の人物だと思われます。
歴史上の王を背景にドラマを作る場合は大概はっきりと何代目の国王であることを明記しています。このドラマの国王の設定が19世紀李氏朝鮮時代の国王となっていてそれ以外の明確なことは表記されていません。このことからこのドラマの全て架空の王宮を舞台にドラマが作られていることがわかります。
しかし、王宮は架空でもドラマの題名でもある揀択・カンテクは実話があったことは実話です。この揀択・カンテクについては韓ドラ時代劇でも何度か王妃、世子嬪を選ぶシーンを観たことがありますがこのドラマはその内容を他のドラマより詳しかったですよね。
では、実際の揀択・カンテクはどうだったのでしょうか。
歴史上の正室 誕生秘話
韓国の歴史における王妃の選び方は、王朝や時代によって異なりますが、特に朝鮮王朝(李氏朝鮮、1392年~1910年)では、王妃選びが厳格な儀式や基準に従って行われていたそうです。
王妃選びのプロセス
1. 初選(초간택/チョガンテク)
- 背景調査: 最初の段階では、王妃候補の家柄や出身が重要視されました。候補者は、門地の高い家柄や、忠誠心のある家系から選ばれる必要がありました。家族の歴史や業績、政治的背景などが調査されました。
- 身体検査: 候補者は、容姿や健康状態についても審査を受けました。王室の後継者を生む役割を担うため、身体的に健康であることが重視されました。容姿も王室のイメージにふさわしいかどうかが評価されました。
2. 再選(재간택/ジェガンテク)
- 知識と品行の審査: 候補者の知識や教養、礼儀作法についての審査が行われました。儒教的な教養を身に着けているか、品行方正であるかが試されました。特に、儒教の教えに基づく女性の徳が重視されました。
- 芸術的な才能の審査: 候補者は、詩作や書道、刺繍などの芸術的な才能についても審査されました。これらは、王妃としての教養や品位を示す重要な要素とされました。
3. 三選(삼간택/サムガンテク)
- 最終審査: 最終的な候補者は王と王室の前で審査を受けました。王自身が最終決定を下す場合もあれば、王の母親や他の王室の高官が最終選抜を行うこともありました。候補者の態度や振る舞いが特に重視されました。
- 徳と運の審査: 最終選抜では、候補者の徳(内面的な美しさや品性)や運命も考慮されました。例えば、候補者の運勢を占うなど、占いも一部の選抜過程に含まれることがありました。
4. 婚礼準備
- 試験を通過した後: 最終的に選ばれた王妃候補は、正式に王妃として迎え入れられるために、結婚の準備が進められました。この段階では、さらに厳しい監視と訓練が行われ、王妃としての役割を果たすための準備が行われました。
結論
「간택/カンテク」の選抜過程では、王妃や王世子嬪としてふさわしい候補者を選ぶために、厳格な試験や審査が行われました。これらの試験は、候補者の家柄、容姿、健康、教養、品行、そして最終的には運命までを考慮した総合的な審査でした。これにより、王室にふさわしい女性が選ばれることが目指されました。
影響と政治的意図
王妃選びは単なる個人の結婚ではなく、国家の安定や王室の繁栄に直結する重要な問題でした。そのため、政治的な意図が強く反映されることが多く、時には権力闘争の一部となることもありました。
王妃選び期間中の国民への厳しい規則とは
王妃選びの時には、国民に対して特定の厳しい規則や制約が課されることがありました。これは、王妃選びという国家的な儀式が非常に重要であり、秩序と儀礼が保たれることが求められたからです。
外出禁止令
禁足令(금족령/クムジョンリョン): 王妃選びの期間中、特定の地域では一般市民の外出が禁止されることがありました。これにより、王妃選びが行われる場所周辺の秩序が保たれました。
審査中の秘密保持
審査の秘密: 王妃選びの過程は極めて機密扱いされ、選定に関する情報は厳しく管理されました。選定過程や候補者に関する噂や情報が漏れることを防ぐため、関係者や周辺の住民には情報漏洩を禁じる規則が課されました。
騒音の禁止
静寂保持: 王妃選びの儀式が行われている期間中、騒音を立てることが厳しく禁止されました。特に、儀式が行われている地域や王宮の周辺では、静寂を保つための規則が徹底されました。
特定の行事や活動の制限
祝い事や派手な行動の制限: 王妃選びの期間中、特定の地域や期間では、結婚式などの祝い事や、派手な行動が制限されることがありました。これは、王室の儀礼を尊重し、国家行事に集中するための措置でした。
服装規定
特定の服装規定: 王妃選びの儀式の際、国民が特定の服装を着用するよう指示されることもありました。たとえば、特定の色やデザインが指定されることがありました。
きっとまだまだ細かな決まり事があったのだとは思いますが、これだけの内容を見ただけでも王妃選びは国を挙げての一大イベントだったことがわかります。そしてその時代の中で特にこのドラマ「揀択・カンテク」の時代李氏朝鮮時代(1392年~1910年)が厳しかったようですね。
李氏朝鮮時代(1392年~1910年)を舞台にした韓国の時代劇は、歴史的事実や王朝の出来事を基にした作品が多かったですよね。
李氏朝鮮の国王を題材にした人気の韓国時代劇の一部を紹介します。
「宮廷女官チャングムの誓い」
放送年: 2003年国王: 中宗(チュンジョン)
中宗(チュンジョン)役:イム・ホ チャングム役:イ・ヨンエ
概要: このドラマは、実在したとされる宮廷料理人兼医師のチャングムの生涯を描いています。中宗の時代を背景に、王宮の陰謀や権力闘争の中でチャングムが成長し、困難を乗り越えていく姿が描かれています。中宗は、彼女を支援しつつも宮廷内の権力闘争に苦しむ王として登場します。
「イ・サン」
正祖(チョンジョ)・イ・サン役:イ・ソジン
放送年: 2007年~2008年国王: 正祖(チョンジョ)概要: このドラマは、正祖の波乱に満ちた生涯と治世を描いています。正祖は、祖父である英祖(ヨンジョ)による厳しい教育と父の悲劇的な死(思悼世子の死)に影響を受けながら、改革を進めた王として知られています。ドラマでは、彼の治世における政治的な困難や改革への挑戦が描かれています。
「大王世宗」(대왕 세종/テワンセジョン)
放送年: 2008年国王: 世宗大王(セジョン)
概要: 朝鮮王朝の中で最も敬愛された王の一人である世宗大王を描いたドラマです。世宗大王は、ハングルの発明や数多くの文化・科学の発展に貢献したことで知られています。ドラマは彼の偉大な業績や王としての苦悩、家族との関係を中心に描いています。
「王の男」
燕山君(ヨンサングン)役:イ・ジュンギ
放送年: 2005年(映画として公開され、非常に高い評価を得ましたが、後にドラマ化)国王: 燕山君(ヨンサングン)
概要: 燕山君の時代を背景にした物語で、王と道化師たちの複雑な関係が描かれています。映画では王の暴政や宮廷内の陰謀が焦点となり、ドラマではその背景を深く掘り下げています。
「トンイ」
粛宗(スクチョン)役:チ・ジニ
放送年: 2010年国王: 粛宗(スクチョン)
概要: このドラマは、朝鮮王朝第19代王、粛宗の側室であり後に王妃となった淑嬪崔氏(トンイ)の物語です。トンイは、低い身分から王の側室に上り詰め、最終的には粛宗の寵愛を受け、息子の英祖を生みました。ドラマは、トンイと粛宗の愛の物語を中心に描かれています。
「六龍が飛ぶ」
太祖(テジョ)役:チョン・ホジン 後の太宗役:ユ・アイン
放送年: 2015年~2016年国王: 太祖(テジョ)
概要: 李氏朝鮮の初代王、太祖李成桂(イ・ソンゲ)とその周囲の人物たちを描いたドラマです。朝鮮王朝の建国をテーマに、権力の確立とそのために犠牲を払った人々の物語が描かれています。太祖を含め、彼の息子たちや側近のストーリーも織り交ぜられています。
「私の国」
太祖(テジョ)役: キム・ヨンチョル 太宗(テジョン)役:チャン・ヒョク
放送年: 2019年国王: 太祖(テジョ)、定宗(チョンジョン)、太宗(テジョン)
概要: 李氏朝鮮の初期の時代を背景に、権力争いと個人の信念の葛藤を描いたドラマです。ドラマは、李氏朝鮮の初代王、太祖とその息子たちが繰り広げる血生臭い権力争いに巻き込まれる若者たちの物語です。
まとめ
改めてこの時代を背景にした韓国ドラ時代劇は大ヒットした作品ばかりです。特にその時代の国王や正室、側室がドラマの中でも実話を元に再現されている場面が多く私たち韓ドラファンは知らず知らずのうちに韓国の歴史をドラマで学んでいるんですね。歴代の国王の名前をドラマと照らし合わせて自然とわかってしまうのですから・・・笑
影響と政治的意図
王妃選びは単なる個人の結婚ではなく、国家の安定や王室の繁栄に直結する重要な問題でした。そのため、政治的な意図が強く反映されることが多く、時には権力闘争の一部となることもありました。
こういった背景の中でふと疑問に感じることがあります。
「国王」は恋愛で結婚するという事はその当時はなかったのでしょうか?
次回この部分について書いてみたいと思います。
コメント