「SHOGUN」将軍

韓国ドラマ以外 

9月17日朝の情報番組「ZIP」でも特集で真田広之主演「SHOGUN」が主要4部門「作品賞」「監督賞」「主演男優賞」「主演女優賞」を含むエミー賞史上最多18部門を受賞。これは長い歴史を持つエミー賞史上最多となる快挙です。

韓国ドラマ一筋20年以上の私でもこの快挙は興奮してしまいました。まだ記憶に新しい世界的に大ヒットした韓国ドラマ「イカゲーム」。主役を演じたイ・ジョンジェが主演男優賞を受賞しました。

アジア人が主演男優賞を受賞するのは史上初ということもありかなり話題になりました。

「イカゲーム」はこのとき主演男優賞はじめ監督賞など6冠に輝き一気に世界中の注目を浴びましたが、「SHOGUN」はこの記録を遥かに超えてしまいました。

真田広之さんと言えばそれこそ昭和世代の方には絶大な人気があり多くの日本映画・テレビドラマに主演していた人気俳優さんでした。そんな真田広之さんがトム・クルーズ主演の「ラストサムライ」に出演したことをきっかけに拠点をアメリカに移し日本でのすべてのキャリアを脱ぎ捨て単身アメリカで俳優活動をスタートし地道な努を重ねていった結果今回のこの受賞。素晴らしいですね。

「SHOGUN」

戦国時代を舞台に英国人後悔しが権力争いに巻き込まれる物語

主演 真田広之役:戦国最強の武将「吉井虎永(とらなが)」

エミー賞とは

エミー賞(Emmy Awards)は、アメリカのテレビ業界における最高の栄誉を称える賞で、テレビ番組における優れた業績を表彰するものです。

テレビ界最高の栄誉

エミー賞にはいくつかのカテゴリーがあり、主なものには以下の3つが含まれます。

プライムタイム・エミー賞(Primetime Emmy Awards)

  • 主に夜間のプライムタイム(午後8時~11時)に放送されるテレビ番組が対象。ドラマ、コメディ、ミニシリーズ、バラエティー番組、トークショーなどが受賞の対象となります。

デイタイム・エミー賞(Daytime Emmy Awards)

  • 日中に放送される番組が対象で、主にトークショー、料理番組、子供向け番組、ニュースなどが含まれます。

国際エミー賞(International Emmy Awards)

  • アメリカ以外で制作されたテレビ番組を対象にしています。韓国ドラマや日本のドラマがノミネートされることが増えてきているのはこの部門です。

どんなに凄い事かと言いますと 映画と言えばアカデミー賞 音楽と言えばグラミー賞 演劇と言えばトニー賞に並ぶアメリカでもっとも権威のある文化賞の一つと言われています。

今回受賞した「SHOGUN」ですがエミー賞受賞18部門の内訳は以下の通りです。

作品賞・主演男優賞・主演女優賞・ゲスト男優賞・監督賞・撮影賞・編集賞・キャスティング賞・プロダクションデザイン賞・音響編集賞・音響賞・視覚効果賞・スタント・パフォーマンス賞・メインタイトルデザイン賞・メイクアップ賞(歴史劇&ファンタジー部門)・メイクアップ賞(人工装具部門)・衣装デザイン賞・ヘアースタイル賞

「SHOGUN」関係者取材など世界のドラマ制作に詳しいジャーナリスト長谷川朋子さんは以下のように今回の受賞について解説しています。

長谷川朋子さんによると「SHOGUN」は1話あたり製作費数十億円 ➡ 大規模セットでリアリティーを追求するにはこれだけの予算をかけなければ実現できないそうです。ひえー!

日本人初の主演男優賞受賞の理由について

  • 演技力の素晴らしさは前提にあるものの長谷川さんによると真田さんは早いうちからハリウッドに進出し日本の時代劇も熟知していて日本とハリウッドを両方知るその存在感と経験が大きかった。

海外から見た真田さんの評価・認知度は:映画「ラストサムライ」で知っている方はいたと思うのですが「SHOGUN」は全10話なので毎週楽しみに観ていて「虎永」真田広之にファンになった視聴者が多いのではないかと感じているそうです。

真田広之 経歴

中学1年 ジャパン・アクション・クラブ入所

1993年 「高校教師」 2002年「たそがれ清兵衛  2003年「ラストサムライ」

2006年 アメリカに拠点を移す

2013年 「47RONIN」 2022年 「ブレット・トレイン」 2024年 「SHOGUN将軍」

約18年前アメリカで本格的に活動しいた真田広之さん(当時45歳)。当時のインタビューの内容

言葉の壁

今回の作品(上海の伯爵)は通訳もいなかったので小さい電子辞書を忍ばせながらテーブルの下でこっそり引いていたことがあったそうです。一人前の役をやるにはたりないところがいっぱいあるので今のうちに出稽古を積んでたくさん恥をかいて揉まれてちょっと良いシワを刻んでからが勝負かなと思っています。

それでもコツコツと努力を続けハリウッドで地位を確立。2013年に忠臣蔵をモチーフにした映画「47RONIN」で共演したキアヌ・リーヴスとは映画を通して信頼関を築きました。

初めて殺陣の稽古であった時のこと、彼を目指せばいいのだとキアヌ・リーヴスは思ったそうです。また真田広之さんも彼は精神的にはすでに武士という感じがしたと当時のインタビューで話していました。

プロデューサー 真田広之

最初は小さな「電子辞書」からスタートした真田さんですが今回はプロデューサーとしても活躍されて「作品賞」を受賞しましたが現場の声として制作スタッフのトップの方に長谷川さんが直接取材されたそうですが、真っ先に「真田さんの存在なくしてこの作品は実現しなかった」と話したそうです。現地スタッフと通訳なしで自身の英語力で密にコミュニケーションをはかって現場が仕上がっていったことで良い作品に仕上がったそうです。

「SHOGUN将軍」が海外で注目された理由

日本の時代劇という事で興味を引くことはあると思うのですが、権力争い・人間ドラマなどはアメリカドラマで人気のトレンドだそうです。コロナ禍のタイミングもありストリーミングサービス(インターネットを介して動画や音楽を配信するサービス)が普及し、多言語のドラマも多くの方に愛されようになってこのドラマも日本がセリフ7割でも話題になったそうです。

プロデューサー真田広之の素顔

俳優 尾崎英二郎さんの証言

「SHOGUN将軍」でも織田信長をもとにした役で出演「ラストサムライ」など真田さんとこれまでに3度共演しているそうです。

真田さんはプロデューサーとして常に現場にいて自分たちの着物がちょっとでも着くずれていたら衣装の担当者を呼ぶ前に真田さんが直してくれるほど真田さんの出番がないときでも俳優のそば・モニターのそばにいてくださって静かなる熱意をヒシヒシと感じたそうです。

俳優 帆之亟(はんのじょう)さん

日本風の所作の指導をされている帆之亟さん。歩き方など細かなところまで指導されたようで武士の人と普通の人の歩き方は違い武士は手を振って歩かないそうです。胸を張って軽くこぶしを握ってかかと重心で歩くのだそうです。所作は一つ崩れたらダメ。今回はプロデューサーという権限があるので日本人所作総監修帆之亟さんらを呼んでくれたそうです。

この「SHOGUN」を観た人たちが口を揃えて称賛していたのが日本の歴史を正確に描いた細部へのこだわりでした。これは主演の真田広之さん自らプロデューサーとして現場で演技指導を行っていたそうです。

エミー賞受賞までのストーリー

真田さんは受賞時のスピーチでこんなことを言っていました。

名前が呼ばれたときには本当に信じられないような思いで夢かと思ったんですが子役の頃からお世話になった方々の顔が走馬灯のように浮かんで少しでも恩返しになればと言う気持ちでした。

「子役の頃から・・・」この言葉には物凄く深い思いが感じられました。なぜなら、今は亡き「千葉真一」さんへの思いがきっと刻まれているのではないでしょうか。

真田広之と千葉真一

1960年生まれの真田さんは1965年5歳で劇団ひまわりに入団しています。1966年に真田さんにとって人生に大きな影響を与える千葉真一さんと出会い千葉さん主演作品でデビューします。その後1973年13歳の時に千葉真一主宰のジャパンアクション(JAC)に入団。長渕剛さんの奥様志穂美悦子さんもメンバーでしたよね。世界進出についても千葉真一さんからアドバイスを受けていたそうです。

デビュー当時は下沢廣之(しもざわひろゆき)として活動していたそうですが、1978年18歳の時に「柳生一族の陰謀」のオーディションに合格後千葉真一さんがご自身の「真」と本名前田禎穂の「田」を組み合わせいて「真田広之」と名乗り始めたそうです。

「師は(千葉真一さん)いつも世界市場の未来に目を向けていたので、その姿勢に大きな影響を受けました。おかげで将来、他の素晴らしい俳優や監督と一緒に仕事をするには、どうしたらいいかを考えるようになりました」

と語っていた時期もあり師弟関係の絆の深さが感じられていました。しかし、そんな2人の関係が悪化。絶縁状態になってしまったそうです。事の発端は映画にテレビドラマ・CMなど着々と売れて行った真田さんの月収はどんなに働いても一定で変わらず千葉さんに直訴した結果「嫌ならやめてしまえ!」と言い放った千葉さんは自身が命名した「真田」という芸名を返すように強く求めそれを拒否したことから2人の関係は悪化し千葉さんの生前中にはお互い和解することがなかったそうです。

しかし、2021年8月19日82歳でお亡くなりになった千葉さん。翌年2022年8月17日、都内で千葉真一さんの「偲ぶ会」が開かれた際に発起人として真田さんの名前があったそうです。当日は出席できなかったようでが、真田さんはずっと千葉さんと没交渉だったことを強く悔やんでいたそうです。

33年の月日が経ってしまいましたが、2人しか分かり合えないたくさんの思いがきっとあったのでしょう。ですから受賞時のスピーチに名前こそ出さなかったけれども「千葉真一さん」への思を強く感じたスピーチでした。

改めて千葉真一さんと「真田広之」さんの師弟関係の深さに感動してしまいました。

まとめ

今回のエミー賞で「SHOGUN」が18部門を制し、真田広之さんが歴史的快挙を成し遂げたことは、彼の俳優人生における集大成と言えるでしょう。幼少期に千葉真一さんとの出会いから始まり、数々の試練や葛藤を乗り越え、ついには世界の舞台で高く評価される存在にまで成長した真田さん。しかし、その背後には、師匠であり人生の大きな影響を与えた千葉真一さんの存在がありました。

師弟関係が一時は絶縁状態に陥ったものの、真田さんは受賞スピーチでその思いを感じさせ、「子役の頃からお世話になった方々の顔が浮かんだ」と語ることで、千葉真一さんへの感謝の念を示しました。

この受賞は、ただ単に俳優としての成功ではなく、真田さんの内面的な成長と過去に向き合う姿勢をも象徴しており、その深い感動を私たちに与えてくれます。彼の背中には、師匠でありながらも一時的にすれ違った千葉真一さんの教えと影響が確かに存在しており、その精神を引き継いで世界に挑み続けた姿勢が、今回の受賞に結びついたのでしょう。

真田広之さんの歩みは、アジアの俳優が世界で活躍する新たな道を切り拓くとともに、師弟の絆がいかに人を成長させるかを改めて私たちに教えてくれるものです。今後も真田さんのさらなる活躍に期待するとともに、彼の背後にある深い師弟関係に敬意を表したいと思います。

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